すべてを背負って立つ、人であれ。

社会に出ることを、自立と言ったり、
ひとり立ち、と表現することがある。
自分の足で、しっかりと、この世の中に立つ。
社会に出て、大人と呼ばれる人になることは、
どうやらそういうことらしい。

いっぽうで、大人とは、
何かしら背負いながら生きていくものだ、
というのもよく聞く話。
ある人は、責任を背負う、と言う。
またある人は、期待を背負う、と言う。
中には、使命感だ、と息巻く人もいる。
いずれにせよ、ここに異論を唱えることはできないはずだ。
いくら自由に、気ままに、何も背負わず生きていたとしても、
自分の人生に対する責任を背負っていることにかわりはない。
人生をより良いものにしていく責任は、自分にあるからだ。
そして誰もがやがて考える。良い人生とは、なにか。
自分ひとりが面白可笑しく生きていれば良い、
などとは思えなくなってくる。
そういった考えに傾いてくるのもまた、大人になるということだ。

背負うと言うと、何やら重苦しく感じてしまうだろうか。
しかし、背負うことは、不自由を意味するものではない。
そもそも自由とは、自分で責任を負うからこそ存在するものだ。
自由を謳歌する権利は、自己の責任をともなう、とも言える。
仕事選びは、生き方選び。
そう考えるなら、
何を背負って生きていくか、という話になる。

あらゆる仕事は、生き方を磨いてくれる。
とくに、商売。顧客の矢面で立ち振る舞う商売人の、
その仕事の質は、生き方の質と同じだ。

会社に入り、会社の名のもとで仕事をする。
会社があるから、仕事がある。それ自体は悪くない。
しかしだ。それでも、その時その時の自分の持ち場において
責任や期待、使命感を背負って立たなければいけない。
背負うものの大きさが、成長なのだから。

だからこそ思う。
会社に雇われているなどといった意識は、捨てよ。
任された仕事の中に、部署の中に、会社の中に、
やがては社会に、自分だけの根っこを張るのだ。
会社の名前を背負って、顧客の前に出よ。
先達たちが築いてきた歴史を背負って、顧客の前に出よ。
自分の名前を背負って、会社の看板を超えよ。
商売の先にある、社会の利益を生む使命感を背負って、生きよ。
自分の人生を、背負って立て。

背負うなら、あえて大きいものがいい。
そのぶん、喜びも大きいのだ。

自分は自由だ。何にも縛られない。
自分の好きなことだけやっていたい。
などと、小さな人間になるな。
全てをその背中に請け負う、覇気を持て。

強い大人になれ。
強く、大きな、人になれ。

350年生き続ける、商人哲学。 
ユアサ商事